kamikazeoukaのブログ

介護に関わる方とのコミュニケーションのきっかけになれば…

本を書くのが好きな介護士です!

続・人手不足!

「次がありますので代わってもらえませんか!」

「ごめん、こっちも手が一杯だから…」

こんな会話が日常である。

 

我々が額に汗する現場には、何らかの障がいの為に

自立生活を営めなくなった高齢者が住まわれている。

 

なんとか「普通の生活」に近づけるようにと様々な

援助の手を差し伸べている。

 

障がいを持った高齢者は予定通りにならないのが当たり前。

スケジュール通りに行動ができるのなら、ここ(施設)には

住まわないのであるから…

 

しかしである…

 

「援助」時間は数分単位で細かく配分されている。

援助の手が無いと普通の生活を送ることが出来ない高齢者を

手助けすることが目的であるはずの現場は、援助時間が数分

単位で区切られている。

 

トイレの時間に訪問しても「今は出ない」など言われるのは

毎度のこと…

そして5分も経たないうちに呼び出しコールが鳴る。

「やっぱりトイレに行きます」

 

それまでトイレのことなど気にせずにいた方が、

「トイレ」という言葉を聞いただけで「尿意」を催すのだ。

これで援助が2倍になる。

1度目で済ませておけばよいのだが…

思うようにならないのが「介護」である。

それまで織り込み済みで援助にあたらなければならない。

 

なのにである…

 

援助時間は、数分単位で区切られている。

勤務時間内に終わることなど無いのだ!

それはそれで構わない…

ちゃんと手当が付けば…

 

事業者側は人件費増につながる残業手当は出したくない。

だから残っている職員に順送りして援助に当たらせる。

送られた職員はたまったものではない。

自身の受け持つ援助も常に遅れがちであるのに、この上更に

援助を送られたのでは目も当てられない。

 

でも…

 

遅れながらでも、最後はなぜか辻褄が合う。

 

それは…

 

「何処かで」「誰かの」「援助」を端折っているからに相違ない!

外からは見えない部分で、何処かで、誰かかの、援助を削って、

何処かの、誰かのために、何らかの援助が充当されているのだ!

これが現実なのである。

 

さらに…

 

呼び出しコールを1日に何度も何度も押される方は、全国の施設で

頭痛の種となっている。

他方、失禁していても次の援助時間まで耐え忍ばれる方もいる。

どちらも同じ介護度であれば、負担する金額も同じである。

 

予定通りにいかないのが高齢者介護の実態であることは述べた。

しかし数分単位で援助は区切られる。

熟しきれなかった援助は、残っている職員に上乗せされる。

なのに概ねであるが、最後は辻褄が合う。

 

職員をコールで何度も呼ばれる方がいる。

一日に何回も何回も…

一度の訪問が5分としても、10回呼ばれれば50分にもなる。

他方、じっと堪えている方がいる。

パンツが濡れようが、床から立てなくても、職員が訪問する

まで、じっと耐え忍んでいる方がいる…

どちらも費用負担は同じである。

 

最後までお付き合いいただいた皆様…

 

どうぞ、コメント頂けたらと思います。

介護職の方はもちろん、異業種、学生さんからのコメント

もお待ちしております!